2008年11月
続 幼き頃の思い出
私の記憶にあるのは小学校に入る前ころからでしょうか。木原の家は石垣と築山に囲まれた庭園のなかのお城のような大きなうちでした。そしてそのまわりは仕 入れた陶器をしまう倉庫群が学校の校舎のように立ち並んでいました。広場もありました。広場ではキャッチボウルもできましたしやわらかいゴムボウルを竹で つくったバットで打って倉庫の屋根を越したらホームランでした。ボウルは倉庫の向こう側までさがしにゆきました。家の中は大家族で母の妹や弟(わたしの伯 父や叔母)そしてお手伝いのおねえさんまで数人すんでいました。家の間取りは今様の洋室や個室はなく畳と障子に襖の構成で座敷のほかに奥座敷までありまし た。奥座敷から庭園をながめた情景はこどものころはなんとも感じなかったのですが、いまではすばらしい思い出のシーナリーとしていちばんノスタルジアを感 じます。伯父や叔母たちはいまでも虎市翁にとって初孫であったわたしをそれはそれはよろこんでかわいがったと、ことあるごとにいいます。しかしわたしはほ とんど覚えていないのです。毎日大人数でおなじ釜のごはんをたべるのですから楽しかったりけんかをしたりです。座敷の大広間でプロレスもできましたよ。ザ デストロイヤーの4の字固め いまでもできます。ミスターアトミックの覆面もしてあそびました。台所の土間から円盤(お皿)もとんできました。
続 幼き頃の思い出
私が幼いころ育った木原というところはちょうど佐賀県と長崎県の県境で山の中の村落でした。国道からおよそ2キロぐらい入ったところで当時は国道 も砂利道だったのです。村には100世帯ぐらいあったのでしようか。お店は雑貨を兼ねた"タバコ屋"さんと駄菓子と佃煮などを売る"おヒロおばちゃん"の お店の2件だけでした。
当時母の実家の屋号は"赤絵屋"とよばれていました。ここの村落には窯元が4?5件ありましたが赤絵屋の先代やそれ以前の代は青磁の皿や器に鉛を溶 いて顔料にした赤い絵の具を絵付して焼く仕事を家業にしていようです。 すでに祖父はそのころ有田周辺の窯元から陶磁器を集め大阪や東京の卸業者に売る商 売をしていました。いわゆる陶磁器の元卸という商売を始めいまでも尾崎陶器株式会社として続いています。 祖父の名前は尾崎虎市といいました。母の話によ れば母が子供のころ虎市翁が商いで上京すればよく日本橋三越でおみやげを買ってきてくれたそうです。虎市翁の弟で分家して泉山陶器をおこしたひとの孫でい ま財界で活躍している人物がいます。シャンプーの花王社長を務める 尾崎元規君そのひとで泉山家の二男です。よくぞわれわれの一族から日本のトップ企業の 頂点に立ったものだと尊敬と誇りを感じます。
次回は木原の家の様子をかきます。
4本のインプラントで即時に歯冠を装着した症例
この症例の患者さんは今まで義歯をいれておられ、インプラントを希望されて去年来院されたのですが、体調が芳しくなかったことで今年の9月に1回法(ノーベルダイレクト)で無剥離で埋入しました。
その場でテンポラリー(仮の歯冠)を装着し約1ケ月後に最終的な白い歯で完成させました。
手術はあらかじめctと生体造形モデルを用いてシュミレーションして実祭には歯肉の剥離をしないでピンポイントでインプラントの埋入孔を築いたため術後の腫れや痛みがほとんどなかったようです。
4本の埋入を患者さんの体調を考慮しながら低侵襲で短時間に終えることができました。
口腔内とCT象
埋入部位の生体造形モデルを分割して骨の内部を調べます。


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