2009年1月

最近の症例

2008年の夏に来院され、最近治療が終了した症例です。

上顎臼歯および下顎臼歯がないことが主訴で来院されました。

全身的な健康状態は良好な患者さんで、特に服用している薬などはない方でした。

治療計画を相談した結果、下顎はインプラントを、

上顎はバルプラストの義歯を使用することになりました。

インプラントを行うケースでは、まずCTで撮影した画像を基に下のような生体造形モデルを作成します。

ikeda16.jpg <生体造形モデル>

このモデルを用いて骨や神経などの立体的な構造を把握し、

インプラントの本数やサイズ、埋入角度などを術前に決定します。

本症例ではインプラントは左側臼歯部に3本、右側臼歯部に3本の計6本使用し、

埋入したその場で仮義歯をかぶせました。(1回法)

インプラントはスウェーデンのノーベルバイオケア社のグルービーを使用しました。

       <下顎右側>               <下顎左側>

ikeda8.jpg  ikeda13.jpg

  ikeda18.jpg  ikeda15.jpg

  <予め作成しておいた仮義歯>     <術後即時にかぶせた仮義歯>

上顎の義歯はバルプラストというタイプで作成しました。

バルプラストは薄く・軽く・強いので、快適性や安全性に優れた義歯です。

金属のバネを使用せず、半透明の素材でできているので審美性も高いです。

IMG_1122.JPG  <バルプラスト義歯>

現在のところ、以上の治療で経過は良好であり、患者さんも結果に満足されています。

X20457-00000816-4.JPG <術前>

X20457-00000845-4.JPG  <術後>

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歯科医の人形

こちらの人形は限定生産で、シリアルナンバーも入っている貴重な人形です。

ふつうの人形は2、3パーツでできてしまうそうですが、

これは11ものパーツを繋げて作っている、とても手間のかかっている陶器製の作品です。

昭和40年代に北米に輸出していた人形がモデルになっています。

そのせいか、これまで紹介してきた人形とは違い、あまり優しい印象は受けません。

威張っていて怖そうな感じがしますが、腕は良いのでしょうか。

日本では珍しいデザインです。

 IMG_1098.JPG  IMG_1101.JPG IMG_1105.JPG 

 

以下はこの人形の製造工程です。

1:使用型作成〔写真1〕

 型の展開写真です。

 型割と型数を示したもので、これだけの型からパーツを作り、

 それを組み合わせて製品を作っています。

2:鋳込み作業〔写真2〕

 鋳込み生地をパーツ別に並べたものです。

 これを組み上げて一体の人形が作られています。

3:仕上げ作業

4:素焼き焼成(800℃)

5:釉がけ作業

6:本焼成(1250℃)

7:上絵付け作業〔写真3〕

 絵付け作業です。

 スケッチを基に、1つ1つ手作業で彩色していきます。

8:絵付け焼成(800℃)

9:金銀加色作業

 この人形は眼鏡の部分に金色の塗料を使用しています。

 金・銀色はほかの色とは少々成分が異なるので、

 本焼成ののち再度焼成します。

10:金窯焼成(760℃ )〔写真4〕

11:完成

   

〔写真1〕                    〔写真2〕

IMG_1109.JPGのサムネール画像    IMG_1110.JPG

 

〔写真3〕                    〔写真4〕

IMG_1114.JPG    IMG_1119.JPG

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別れ

わたしは過去に二度ほど父にお別れを言ったことがあります。一度目が高校を卒業して単身上京した時、2回目は日比谷の東京會舘で結婚式を挙げ妻と新 たな生活を始めたとき。そして3度目は昨年の12月23日最後の別れの言葉を言わなければなりませんでした。しかし悲しくてとても声には出すことができま せん。日頃から入院していた病院で急に呼吸困難に陥りそのまま私達に看取られず1人で旅立ちました。遠くで暮らすわたしが父を見舞うのにこれほど遠いな! と感じたことは過去にありませんでした。本当にさびしい思いをさせてしまいました。。。。。。。その日午後3時に息を引きとったとの知らせを5時ごろ受け 大急ぎで羽田に直行するも8時になり福岡便はすべて終りただ1便だけ北九州空港ゆきだけでした。九州に着けば何とかなると思い飛び乗り10時に北九州空港 に着き幸い1社だけニッサンレンターカーが営業していたのでマーチを借り深夜の高速道路を走らせ父のもとに駆けたのでした。空港から1直線、しかしその日 には会うことはできませんでした。遠い!本当に遠かった!結局自宅に着いたのは1時をまわったころでした。 父は本当に安らかな顔でわたしを待つていてく れました。まるでこれから楽しみがあるかのように                                    

わたしには妹がいました。私が中学1年生のとき病気で9歳でなくなったのです。父はいつも妹のことを忘れることができず一生想い続けていました。遺言はあり ませんでしたが半年前妹の50回祈をするようにいわれていることが唯一の遺言です。アン二ローニーを歌いながら天国に旅立った父は今頃はきっと我が娘と再 会を果たしほっとしていることでしょう。

父の葬儀は花輪の数より人の数であったとおもいます。私たちがさびしい想いをさせたかわりに地域の人たちから代わりに親切やおもいやりをいただいた のです。                         これからわたしは父が受けた人々からのご恩をお返ししなければならないと思います。

いまはまだすこし父をなくしたことで心に穴があいているような気持ちで頭もボーとしていますが心配ありません。今年もがんばろうとおもいます。ブログも再開します。ゴルフもやります。            本年もよろしくお願いします!

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